『あなたのための物語』の紹介

 今回はSF小説『あなたのための物語』の紹介です。


 色々な形の幸せがありますが、そのひとつに友人に恵まれるというものがあります。自分はまあ社交的とはいえない人間なのですが、幸いにして「こいつは自分より凄いっ!」という友人に恵まれています。そのひとりがサークル仲間の長谷敏司君で、『ウォーハンマーPRG』(無論ネズミセッションも!)などを一緒に遊んだ仲です。

 自分はTRPGにおいて予定調和のストーリーラインにそのまま乗っかることに抵抗を覚えるたちでして、どちらかというと王道より獣道を進みたがるタイプです。類は友を呼びまして、一緒に卓を囲んだ仲間もこの傾向が強かったのですが、長谷君は群を抜いていました。いや、群を抜いているというよりも、卓越したセンスでもって獣道どころか明後日の方向にワープゲートを開いて爆走するタイプでして、一緒にプレイヤーをしている時はそのカオスな行動に腹を抱えて笑わせてもらい、GMをしている時は彼のラグビーボール並みに予測不可能なトリックスター的動きに戦々恐々としていました。彼には伝説が色々ありまして、『ウォーハンマーPRG』(旧版)では、幸薄い召使いの小娘がなぜか新興宗教の教祖になり浮浪者の老人に教えを説いていたり、善良エルフなのにどういうわけかティーンチの邪教団に潜り込み都会風の新教義なるものを教えていたり等々。詳しくは、ここでは書けないような内容がテンコ盛りです(笑)。



 そんな長谷君ですが、現在ライトノベル作家として活躍中です。代表作は『円環少女』。美少女魔法使いやら変態やらが、戯れたり、どシリアスな戦いをしたりする、一つのジャンルにくくれない実に彼らしい個性的な作品です。




 また、8月に早川書房が彼の本格的なSF小説を出版し、第30回SF大賞の候補作に選ばれました。今回紹介する『あなたのための物語』です。長谷君のブログの「青灰色 Blog」によると、“売れない作家”だった2004年にSFマガジンの当時の編集長に送った“最後の原稿になるならこれだろうと思っていたプロット”がルーツだそうです。完成まで5年以上かかった、長谷君のまさに根っこの部分の作品だと言えます。



あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

あなたのための物語 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)


内容紹介

 西暦2083年、ニューロロジカル社の共同経営者にして研究者のサマンサ・ウォーカーは、脳内に疑似神経を形成することで経験や感情を直接伝達する言語―ITP(Image Transfer Protocol)を開発していた。ITP使用者が創造性をも兼ね備えることを証明すべく、サマンサはITPテキストによる仮想人格“wanna be”を誕生させ、創造性試験体として小説の執筆に従事させていた。そんな矢先、自らも脳内にITP移植したサマンサは、その検査で余命半年であることが判明する。残された日々を、ITP商品化への障壁である“感覚の平板化”の解決に捧げようとするサマンサ。いっぽう“wanna be”は、徐々に彼女のための物語を語りはじめるが…『円環少女』の人気作家が挑む本格SFの野心作。


 真白な表紙がとても印象的な本書は、主にサマンサの“死”を扱った作品です。エンターテイメントおいて“死”は、“仲間のカタキ!”などで戦闘を盛り上げるための演出や、“病魔と闘う美少女”などお涙ちょうだい的な要素として扱われることが多いかと思います。しかし、本作は“死”に真っ向から取り組んでいます。死は誰にでも必ず訪れ、その人からすべてを奪う、身も蓋もないものです。時代の寵児であったサマンサが、病魔に侵され苦しみもがくさまを、これまでか、これまでかと描いています。そして、この本にはお涙ちょうだい的な美談も、おさまりのよい結末も用意されていません。作者が悩みに悩み抜いた末にたどり着いたものが提示されているだけです。

 本作の作者の愚直なまでの“死”に対するスタンスは、彼が20代で難病を罹り、現在も食事制限をしていることが少なからず影響していると思います(闘病シーンは実に生々しいです)。

 静かですが実に衝撃的な作品です。もっと早くレビューを上げようと思っていましたが、現時点でも消化できていません。ただ、内容が内容なだけに、面白いや面白くないなどではなく、引き込まれる、いや引き込まれざるを得ない作品でした。

 感想らしきものを出すとしたら、もっと早く、悩み多き思春期のころに読みたかったというものです。あの時にこういう問題意識を持っていればよかったなぁと。

 養老孟司氏のエッセイに「現代人は自分は死なないと思っている」という旨のものがありましたが、自分もそうだと思います。普通、来年自分は生きているのだろうかなどと自問しません。自分も自分の家族もいつか必ず“死”を迎えますが、よほどのことがない限りそれについて意識することはありません。普通そうだと思います。自分もそうでした。昨年、父が病死するまでは。いや、父が亡くなったという現実を受け入れられているかというと、1年以上経った今でもできていません。

 本作を思春期の頃に読んであれこれ悩んでいれば、もう少しなんとかなったような気がしてなりません。もちろん、今だから言えることなのですが。


 本書のレーベルはSFコアファン向けのもの思いますが、本作が限られた人にしか読まれないのは勿体ないなぁなどと思ってしまいます。『円環少女』がアニメ化されたりして、本書もラノベ風の表紙の文庫本になったりしたら、もっと多くの人に手に取ってもらえるかも。そして、表紙に騙されたと思う人もいるでしょうが、何人かは必ず本作に引きずり込まれるだろうになぁと、勝手極まりない妄想を働かせています。


 まあ、妄想は置いておいて、長谷君の作品でなければ自分も本作を手にしなかったと思います。こんな素晴らしい物語を生みだしてくれた長谷君に、また彼と同じ卓を囲めたという幸運に感謝したいと思います。