オールド・ワールドの神々の位置づけ(その2)

 今回は『ウォーハンマーRPG』における神の立ち位置についての考察の続きです。前回、「混沌の神々が人類の無意識の総意が混沌の領域に反映したものに対して、神々は人類の意識化された総意が反映されたもの」と自分の解釈を記しました。まずはこれの説明です。

 『ウォーハンマーRPG』では、神自身の世界設置上の立ち位置を明記していません。D&D4版であれば、神々はアストラル海という次元界に存在します。プレイヤーが使用する[信仰]パワーとは、異界にいる神々に祈りを捧げて現実世界に奇跡を起こしてもらったものになります。しかし、『ウォーハンマーRPG』では“モールの国”は概念上ありますが、それが何処にあるのか明記されていません。シグマーはどこに存在するのか? 他のゲームなら天界ということになるでしょうか、『ウォーハンマーRPG』ではHeaven(天国)は、Lore of the Heavens(天空の魔法体系)でも判るように、宇宙や天体の意味で使われるケースが多いです。ならシグマーは宇宙に存在するのか? シグマーのシンボルが彗星なので、それっぽいですが、これは違うと思います。

 神が実際に存在する場所は、神の力の発信源と同じと考えてみましょう。信仰の奇跡は何によって起こるかというと、混沌の領域から吹く“魔力の風”によってです。信仰呪文も《魔風交信》を使用できます。『魔術の書』に「秘術魔術師の印」という選択ルールがあり、『救済の書』にはこれの司祭版の「神の印」というものがあります。前者は呪文発動を繰り返すことによってシャモンなど特定の“魔力の風”に触れ続けると、術者がその影響を肉体的にも精神的にも受けるというものです。後者も信仰呪文の発動を繰り返すことで、神の影響を肉体的にも精神的にも受けるというものです。信仰呪文とは、信仰心によって神の性質に合う“魔力の風”をブレンドしたものによって発動していると考えられます。

 では、神々とは何なんでしょう? 『救済の書』の第3章『民間信仰』には「魔術師が何気なく口にした言葉をもとにできあがった迷信も少なくはない。その言葉に民衆が大きな反応をしめしたことで、“魔力の風”がねじ曲がるさまをその魔術師が目の当たりにしたわけである」という文があります。民衆の思い込みが“魔力の風”に作用し、現実世界に影響を与えるのです。そうすると、“魔力の風”が力の源である神々は、民衆の信仰心が“魔力の風”に作用したもの、もっと言えば民衆の想いが“混沌の領域”に反映されたものと捉えてもおかしくないように思えます。

 そう考えた方が納得のいく事例もあります。オールド・ワールドの神々は、忘れされたり、主流の一柱に統合されたり、世代交代をします。これの主導権を持っているのは、神々ではなく民衆であるはずです。つまり、グローランサやレルムのように、神々同士が実際戦ったりした結果そうなったとは考えにくいです。『救済の書』には、ウルリックのシンボルの白狼は元々は狼神ルーポスではないかと推測するコラムがあります。これがグローランサなら、ウルリックがルーポスを倒してその毛皮を身にまといその力を奪うという事実があり、その神話が残っているという形になるかと思います。オールド・ワールドにおいては、ウルリックを信奉するチュートゲン族が、ルーポスを信奉する一族を征服して吸収したため、ルーポス信仰の一部が白狼という形で残ったと考える方が納得性できます。また、近年ウルリックやタールなどの古めかしい神の勢力が衰退し、近代的な商業の神ハントリッヒが力を増しているとあります。これも、天界のウルリックやタールが老弱し、若い神ハントリッヒが力をつけてきたということではないでしょう。エンパイアの生活様式が変化し、自然と共存して生きていく者が減り、都市生活者が増加したのが原因でしょう。

 こう考えれば、「神々は人類の意識化された総意が混沌の領域に反映されたもの」という考えもあながちデタラメではないのではないのでしょうか? でも、神々はディーモンが住む地獄である混沌の領域と相反する存在ではないかという考えも当然でてくるかと思います。しかし、超常的なディーモンに対抗する、『ウォーハンマーRPG』における超常的な破魔の力はなにかと言えば、ハイシュという“魔力の風”に他なりません。つまり、混沌の領域には、ディーモンの力も反ディーモンの力もあるということです。流石、混沌。清濁すべてを含むのです。

 でも混沌の領域には暗黒の神々のすむ世界であるという事実もあります。しかし、混沌四大神とは、混沌なのに妙に秩序だっていると思いませんか? なんでもあり得るグチョグチョなのが混沌なのに、ディーモンの序列などがキチンと決まっている。また、混沌四大神を統べる存在もおり、混沌の嵐などの折には協力しあうなどの秩序だった行動を取る。自分にはちょっと納得しにくいですよね?

 これについては、暗黒の神々ですら「人類の総意が混沌の領域に反映されたもの」と考えれば納得度は高くありませんか? もっと言えば混沌を人間の理解できる範囲まで秩序だてたものが、暗黒の神々だということです。これはそれほどとっぴな考えではありませんね? 混沌の領域という人間の意識に影響を受け、現実世界にフィードバックを与える存在がある。そして、人類の言語化不可能なものも含めるすべての想いが投射されており、「恐怖」などの本能に近いがまだ意識化できるものの総意が暗黒の神々やディーモンとして形成されている。「希望」や「秩序」など極めて意識的なものの総意が神々として形成されているというのではないでしょうか? “旧き者”の存在やエルフなどの扱いについては、疑問が残りますが、それほど間違った解釈ではないと思っています。


 しかし、何故『ウォーハンマーRPG』のデザイナーたちは、世界の構造を不明瞭にしているのでしょう? 前回記したように、プレイヤーに推測させる楽しみを残しているというのがあります。

 うがったメタ的視点では、『ウォーハンマーRPG』のデザイナーたちにはウォーハンマー世界の枠組みをきっちり決める権限がないのではないかと邪推しています。ウォーハンマー世界は、『ウォーハンマー・ファンタジーバトル』というミニチュアバトルゲームの背景世界であって、『ウォーハンマーRPG』はそのひとつの派生商品でしかありません。また、『ウォーハンマー・ファンタジーバトル』は、後付け設定を付け加えることによって現在も発展していっている商品であります。『ウォーハンマーRPG』はTRPGとして世界の枠組みを示す必要性が高いですが、ひとつの派生商品が『ウォーハンマー・ファンタジーバトル』の発展性をしぼめるわけにはいかないのかなと。例えば、『ファンタジーバトル』では、国家や種族ごとに個性的な軍団を追加しています。このため、ウォーハンマーの世界地図には余白が必要なのでしょうね。と言っても『ウォーハンマーRPG』ではキスレヴについて専用サプリメントで詳細な設定を作っているけど『ファンタジーバトル』の方で全く異なるキスレヴの後付け設定を作ることはないことはないとも個人的には思ったりしていますが。

 なにはともあれ、『ウォーハンマーRPG』において神格自身の詳細を明確にしないことは、その神秘性を深めていると思います。そういえば、旧版では神格自身のイラストがありましたが、2版では神格をオールド・ワールドの住人が描いたもののイラストしかありません(生前のシグマーのイラストはありますが)。となると、やはり意図的に明確にしていないのでしょうね。